つれづれにつらつら

感情吐き出し場

わたしはサカナクションが大好きだ。


はじめに

 

サカナクションのライブが中止になった。

5月1日、2日、8日に神奈川と大阪で開催される予定だった、
『SAKANAQUARIUM2020 "834.194 光" SPEAKER+』
2020年の年明けから始まったサカナクションの同名ホールツアー中に開催が発表され、ツアーの追加公演になるはずだった公演だ。
開催中のツアーも、これから折り返しというところで件の流行り病のあおりを受け、2月末の閏日に予定していた金沢公演以降、すべての公演が開催延期になっている。

 

わたしは社会人2年目、東京生活も2年目のN県出身女性である。
昨年の春、社会人として1日目の出立となった朝の、よく晴れた青空に感動したことを覚えている
住む前から東京は晴れの日が多いと聞いていたが、雪国育ちのわたしは住み始めて1か月ほどでそれを実感した。
東京はほんとうに晴れている。しかも、晴れるときはとてもきれいに晴れるのだ。
上京から1年しか経っていない人間が言うのもなんだが、特に、2020年の春はあたたかいと思う。
そんな日は外に出て、目的も決めずに散歩して、好きな音楽を聴きながら空想に浸りたい。
歌詞の空白に自分の色を乗せて、自分だけの景色を見つけてみたい。
外出自粛、3密、ソーシャルディスタンスを意識する日々は、皐月に入っても尚続いていた。

 

わたしは暗い話がしたいわけではない。
ただ、大好きなサカナクションの皆さんが、大好きなライブができないという状況が心苦しくてならない。
サカナクションが今回の「中止」という決断を下したとき、きっとファンの端くれでしかないわたしより苦しい思いだったに違いない。
"光"の先へと向かうはずだった電子の切符はお金と共に戻ってきてしまうが、このお金は無駄にしない。
サカナクションの支えになる形でお返ししようと思う。

 

いま、サカナクションのためにわたしは何ができるだろう。
中止のお知らせを目にしたとき、漠然と頭の中に浮かんだ。

現在、サカナクションは公式アプリで「NICEACTION」という試みを行なっている。
所謂投げ銭システムのようなもので、1口110円からお金を入れることができるようになっている。
似たようなシステムを設けた配信で盛り上がっている様子を最近見かけるようになったが、
このNICEACTIONは、ボーカルの山口一郎さん曰く「衝動的にお金を入れるのではなく、ちゃんと気持ちをもってお金を入れてもらえるように」という、
ファン個人の気持ちを大切に汲んでくれたあたたかい設計にしてくれている。
わたしはこのNICEACTIONのやさしさが大好きで、とてもサカナクションらしいとも思う。
このNICEACTIONの存在を知ってから、週末に行われるYouTubeの配信やインスタライブを見た後に気持ちばかりの額を入れている。

 

いま行なえる支援として最上のことを出来ていると思っているが、それ以外に何かないだろうか。
幸いにも、言葉を考え、文章を作るのは好きだ。
せめてこの「わたしはサカナクションが大好きだ。」という今の気持ちを文章という形に残してみようと思い立ち、
2020年5月1日の20時34分から1字目を書き始め、この行に至るまで1時間半以上経っている。
筆の速度はお察しである。

 

以下は、サカナクションのプロモーション記事となる。
書きたいものは「好き」という想い。そこに対して真摯でありたい。
一端のファンである"わたし"の感覚を、できるだけリアルに書こうと思っている。
自分自身の整理も兼ねているため、とても個人的な内容になると思う。
それでもあえて「プロモーション」と銘打つのは、今この文章を読んでくれているこの世にただひとりのあなたと、
同じくただひとりのわたしが、どこか重なり合えるところがあることを期待しているからだ。


おしながき


1.邂逅:『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』/years


サカナクションというバンドを初めて認識したのは、ミュージックステーションに初出演した際の放送をたまたま見たときだ。

奏でられたのは、『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』という曲。

youtu.be

現在ではお馴染みとなった、5人横並びのパフォーマンス。当時中学生のわたしには、鳥肌が立つほど新鮮な光景だった。
目を大きく開き、少し興奮しながら「音楽ってこういうのもありなんだ…」と呟いたことを覚えている。
わたしの両親は若い頃から音楽に親しんでいて、父は20~30人ほどのビッグバンドでベースを弾いている。
「音楽」と聞いて結びつく記憶の中の景色とたったいまテレビの中で広がっている光景は、どうしたって乖離した。
しかしそれを「受け入れ難い」とは思わなかった。むしろ、ものすごく自然に受け入れられた。
画面の向こうの大衆に向け、勇気をもってテレビに出てくれたサカナクションは、13歳のわたしに「可能性」を実感させてくれた。
その後、自分のお金で『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』のEPを購入した。
A面とは打って変わって、B面の曲は全体的に暗い印象だった。歌詞も音色も重たく感じられた。
それが『years』という曲で、のちに大切な曲のひとつになるのだが、
まだ表面だけをなめていたわたしには難しかったのか、一曲としてしっかり聴けるようになるまで数年を要した。
今となっては、あの強烈なインパクトを抱する曲のカップリングとして『years』を抱き合わせたことに意図すら感じるようになった。
『バッハ~』のEPが世に出たのは2011年。忘れられない出来事が起こった年だ。

僕たちは薄い布だ 折り目のないただの布だ

すべての物事は繋がっていると何の疑いもなく感じられるのは、この曲が在るおかげかもしれない。
奇しくも、当時と状況が重なってしまう今日この頃で、息も詰まるような苦しさが独りの部屋を満たす夜もあるけれど、
自分の胸に変わらないことをひとつでも持つこと、もしくはそのひとつを探しながら生活することが、
2メートル以上離れている布と布とを繋ぎ合わせる糸になるのかもしれない。
今、歌詞を改めて読んでみて、そう感じた。

youtu.be

 

2.回想1-ボイル


高校3年生の秋。大学受験に向けて、放課後も校内に残って勉強している日々が続いていた。
同じクラスの受験勉強をしている子たちと支え合ってマイペースにやっていたが、帰るときはいつもひとりだった。
高校から自宅までは結構離れていて、ちょうど中間あたりには大きな橋があった。
渡り切るのに10分弱はかかるため、話し相手もいないし、どうしても手持無沙汰になる。
その時間を救ってくれたのは、ウォークマンに入れられた音楽たちだった。
特に好きなバンドがいたわけでもなかったので、全曲シャッフルで適当に流し聴いていた。
中でも、当時のことを思い出す曲がある。サカナクションの『ボイル』だ。

6枚目のアルバム『sakanaction』に収録されている。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00AR15L4W/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_xuNTEb992QPKH
意識して聴き込むようになるのはもう少し後になるのだが、
三拍子で回り踊るようなキーボードの音色に嵌まる日本語のリズムが心地良く、耳馴染みがとても良かった。
特に後半の展開が好きで、堰を切ったように溢れ出す言葉を追うように沢山の音がついていき、最高潮でついに水面へ飛び出し、朝の陽光に照らされながら小さな魚がスローモーションに跳ね踊る。
オレンジに染まる空と、左側から半身を照らす夕日に、広い河川。鼓膜を揺らす音楽と目に見える景色はよくリンクした。
サカナクションの曲作りは曲先行で後から歌詞が乗せられるのだが、『ボイル』に限らず、サカナクションの楽曲はメロディーと歌詞のシンクロが非常に美しいと感じる。
音だけ、歌詞だけが単独にあるのではなく、「音楽」と「詩」、それぞれの文化が協調し、美しく融合している。
このメロディーにこの言葉以外は嵌まり得ない。そんな感覚を常々覚える。
当時のわたしはそこまで思考を巡らせていなかったと思うが、漠然と、大学生になったらライブに行きたいと考えるようになった。
そして、行くのであれば、サカナクションのライブがいいと思った。
サカナクションを好きになりたい」という気持ちは、このとき芽を出したのかもしれない。
ウォークマンにはまだ、『DocumentaLy』と『sakanaction』の2枚のアルバムしか入っていない頃のことだった。

 

3.再会-ナイトフィッシングイズグッド


サカナクションにとって『NIGHT FISHING』という言葉は特別で、頭文字からとった『NF』という単語は、
ボーカルの山口さんが社長を務める株式会社の社名や、サカナクションがオーガナイズするクラブイベントの名前にもなっている。
YouTubeで公開されている、サカナクションにかかわるスタイリストやギターテックなど裏方のお仕事をしている方々が活躍しているチャンネルも『NFパンチ』という名前である。

youtu.be

 

大学進学が決まったと同時に、人生初の一人暮らしも決定した。
進学先は県内の大学だったが、我が県は縦長な形をしているため、地元から大学まで100km以上離れている。
新幹線で通えないこともないが、選んだのは親元を離れて一人で暮らすことだった。
大学1年生のGWに地元へ帰った折に、サカナクションの過去のアルバムをすべてレンタルした。
音楽再生機器はウォークマンからiPhoneに変わり、通学の往復30分ほどの道のりで聴いていた。
そこで出逢ったのが『ナイトフィッシングイズグッド』(以下、『NFIG』)だ。
2枚目のアルバム『NIGHT FISHING』に収録されている。

youtu.be

一度聴き終えたあと、わたしの口角は上がっていた。がつんと頭を殴られ、目が覚めるようだった。
「こんな曲を作れるバンドがいるんだ」というワクワクとした高揚感は、Mステで『バッハ~』のパフォーマンスを見たときのそれに似ていた。
歌うことが好きな自分に『NFIG』は歌ものとしても刺さったが、衝撃的だったのはその歌詞だ。

夢のような世界があるのなら僕も変われるかな
アスファルトに立つ僕と月の間には何もないって知った

Aメロの歌い出し。1行目は特に、将来の行く先が分からないまま家を離れ生きている自分に重なった。
繰り返し聴くうちに、この曲の主人公は自分自身を探っているのだと感じた。

ゆらゆら揺れる水面の月 忍ぶ足音 気配がした
草を掻き分け 虫を払うかのように君を手招きする
目を細む鳥のように今 川底 舐めるように見る
かの糸 たぐり寄せてしなる 跳ねる水の音がした

見えない気配に期待をして、自ら歩み寄っていく。
見えないけれど自分で探す。探し続ける。

この先でほら 僕を待ってるから行くべきだ 夢の続きは
この夜が明け疲れ果てて眠るまで まだまだ

曲が終わっても尚、彼は探し続けているのだ。

わたしを満たしたのは勇気だった。
自分と似た部分のある誰かが、苦悩して探して見つけた答えではなく、その過程にある様を歌にしている。
そしてそれが、遠く離れたわたしのもとに届いた。
何事も結果に固執してきた自分にとって、その事実は眩しいほどに輝いていた。
わたしはこのとき、サカナクションに再会した。そしてこのとき、本当の意味でサカナクションに惚れた。

 

4.回想2-ティーンエイジ


月日は流れ、大学4年生になっていた。
サカナクションのベストアルバム『魚図鑑』が3月に出たばかりで、
そのツアーに参加する日が7月に訪れたが、わたしは就活の真っ最中だった。
型通りの就活が肌に合わず、どうせやるなら自由度の高い東京でと思い立って飛び出したものの、
ここぞという会社に巡り合えず、悪戦苦闘の繰り返しだった。
ライブを見送る選択肢はなかったので、まあ息抜きにでもなればと思い参加し、仙台GIGSのおよそ中腹あたりに立ち、ライブはスタートした。
『魚図鑑』は浅瀬・中層・深海の3層に楽曲が分けられていて、
最初は深海から始まり、中層、浅瀬と、徐々に浮上していくような構成だった。
今回のツアーはこの日が初参加で、個人的に好きな横揺れしたくなるようなゆったりとした曲が続き、
月並みだが最高に心地よかった。
その4曲目、予想だにしない曲のイントロが聴こえた。
ティーンエイジ』。『NFIG』と同じく『NIGHT FISHING』に収録されており、『魚図鑑』での階層は深海にあたる。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00BSX7B50/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_eANTEbG8M3V0T

ベストアルバムのライブだもん。そりゃ普段やらないような曲やるか。
と、落ち着いていられるわけがなかった。何の曲か判断した瞬間から全身が緊張し、食い入るようにステージ上を見つめた。
ティーンエイジ』は、全編に渡りボーカルと女性コーラスの声が重なっている。
わたしはこの曲の、どことなく青い疼きや衝動を感じさせる歌詞が好きだ。
山口さんは、自身の書いた歌詞が受け取り側で新たな意味を生むことを「意味が跳ねる」「ライズする」と表す。
歌詞について自分なりの意味を巡らせて考えるのが好きなので、
日常にふと、歌詞の意味が跳ねて溜め息を吐くことはあるのだが、ライブ中にそれが起こったのは初めてだった。

いきり立ってる 君の目の前で
石を蹴って 青くうつむいて
時が経って すぐに大人になって
さらけ出せなくなって もう戻れなくなって

最後の一行が、就職活動中の自分と重なった。
自身の本当をさらけ出せない日々が続き、苦しさを覚えながらも、かけた時間とお金を思うと後には引けなかった。
自分自身も逃げることはしたくないと思ってはいたけれど、取り巻く状況自体もわたしの首をゆるやかに締めていた。

だけどまた振り返って何かを確かめて
苦しむフリをして 誰かに背を向けて
読み飽きた本を読んで また言葉に埋もれ
旅に出たくなって 君を思い出して

いままでここの歌詞を、山口さん自身の思考回路として聴いていた。
言葉に埋もれるほど本を読んできた人間ではないし、重なることはできないが、第三者としてこの曲を楽しむのだと。
しかしその日、歌詞は重なってしまった。
本を読む読まないではなかったのだ。歩んでは立ち止まり、後ろ髪を引かれながらも強引に前を向き、
何かがあると期待して歩み出しては、また振り返って誰かの言葉を欲してしまう。

そうやって僕らは 繰り返して行く
渦巻く未来が 呼ぶ声がする

気づけば、目から大粒の涙が溢れていた。
このもどかしさは、大人になっても尚続いていく。そうやって繰り返すものなのだ。
こうしてもがきながら生きる術を探すのが、大人になるということなのかもしれないと思った。
後奏のダンスパートでは、手を合わせて祈るように踊った。
翌月、わたしは都内にある一社から内定をいただけた。

 

5.最愛-ドキュメント


サカナクションの曲を聴き、ライブにも足を運び、活動を追い続ける今日この頃。
サカナクションのどこが好きなの?」
「どの曲が一番好きなの?」
そう訊かれる場面はしばしばあった。
どちらも返答に迷う質問で、すぐに答えることはできない。
どこが好きなのか?
好きだから好きなんだよに尽きるのだが、強いて言うなら、ドがつくほど真面目なところが好きだと思う。
これからも応援させていただきます、本当に。
困るのは後者の質問だった。全部好きだもの。
今回紹介しきれなかった数多くの楽曲に救われてきたし、
時間と余力があればあの曲とかあの曲についても書きたかったが、それは機会があればそのときにしようと思う。
本当は一曲だけ、心が捕らわれて離してくれない曲がある。
大切すぎるあまり、周囲に訊かれても信用できる人にしか答えない。
それが『ドキュメント』という曲。
2011年に生まれたアルバム『DocumentaLy』の最後を飾る。

youtu.be
この曲について語ろうと思うと、文字を打つ手が震えるほど苦しくなって心臓もドキドキしてくるのだけれど、
こんな機会もなかなか無いだろうし、今回は話してみようと思う。
『ドキュメント』という曲には、シングル曲が持つような派手さはない。
どちらかというと単調で、ギターのメロディーラインは終盤までほとんど変わらない。
文学的な表現は薄く、「紙芝居のような曲」という印象が自分の中にあった。
この曲が収録されている『DocumentaLy』というアルバムは、何度も言うように2011年に生まれた。
「音楽は時代を映す鏡」と山口さんは語る。
かのアルバムは、その時代の「リアル」を記録することをコンセプトに制作された。
documentaryという単語のRをLに変えると、「mental」という単語が浮かび上がってくる。
この『DocumentaLy』というアルバムは「2011年のミュージシャンの心の映写記録」だとわたしは考えている。
『ドキュメント』は、そんなアルバムの最後に聴者へ届けられる。

今までの僕の話は全部嘘さ この先も全部ウソさ

『ドキュメント』というタイトルでありながら、こんな歌い出しで始まる。
2011年にミュージシャンとして生きていた事実を記録するように、その後も淡々と歌詞が紡がれていく。
わたしは、この曲を聴くたびにいくつもの景色を見る。
それは歌詞の上での世界でもあり、歌詞から想起される自分自身の世界でもあり、ある時代の風景でもある。
『ドキュメント』は、最後にこう歌いあげて曲が終わる。

愛の歌 歌ってもいいかなって思い始めてる

あの時代の最中に「愛を歌いたい」と考えていた事実が、曲の中に残っている。
それこそが、最たる愛に満ちた記録なのではないか。

そう思わずにはいられない。


さいごに

 

2020年5月9日17時15分。
1枚目のアルバム『GO TO THE FUTURE』は、今日から13年前に発売された。
今日という日はもう過ぎて、明日から14年目を歩み始めるサカナクションさんに向けて、13年目のお祝いをさせていただきます。

 

サカナクションの皆さん、
メジャーデビュー13周年おめでとうございます。

 

山口一郎さんの詩世界と真面目さが大好きです。
岩寺基晴さんの優しさと演奏時のギャップが大好きです。
草刈愛美さんのチャーミングな笑顔が大好きです。
岡崎英美さんの魅力的な声とかわいらしさが大好きです。
江島啓一さんのおだやかさ、ほがらかさ、大好きです。

 

サカナクションを支えているチームの皆さん、本当に大好きです。

 

音楽にかかわること、そして音楽以外の大切なこともたくさん教わっています。
ファンを想った活動の数々、本当にうれしいです。ありがとうございます。

 

また必ずライブに行きます。

 

早く会える日を願い、今日もあなたたちの音楽で夜を乗りこなします。

 
サカナクションに愛をこめて

エビナ

 

youtu.be